未来を作る学生インターン主導チーム。

「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませんから。」広島原爆投下から72年。改めて平和や核兵器について考えてみる。

「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませんから。」

広島平和記念公園に設置されている原爆死没者慰霊碑(げんばくしぼつしゃいれいひ)には、こう刻まれています。

 

 

引用:wikipedia 原爆死没者慰霊碑

 

今から72年前の今日、昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。

 

人類史上最初の原子爆弾が、広島に投下されました

 

原子爆弾は、投下から43秒後、地上約600メートルの上空で目もくらむ閃光を放って炸裂し、小型の太陽ともいえる灼熱の火球を作りました。火球の中心温度は摂氏100万度を超え、1秒後には最大直径280メートルの大きさとなり、爆心地周辺の地表面の温度は3,000~4,000度にも達しました。爆発の瞬間、強烈な熱線と放射線が四方へ放射されるとともに、周囲の空気が膨張して超高圧の爆風となり、これら3つが複雑に作用して大きな被害をもたらしました。

参照:原爆被害の概要-広島市

 

今回は私の故郷でもある広島に祈りをこめて、今から72年前の今日を振り返り、改めて平和や核兵器について考えてみたいと思います。

 

広島に原爆が投下されるまで

1938(昭和13)年、ドイツで核分裂現象が発見されます。この技術を応用して各国で新型爆弾の開発が始まりました。

アメリカでは1939年にドイツから亡命した、アインシュタインをはじめとするユダヤ系科学者たちが、ルーズベルト大統領に新型爆弾を開発に着手することを提案し、開発が始まります。

1940年、イギリス政府は新型爆弾の検討をする「モード委員会」を設立。同年アメリカでも原爆の原料となるプルトニウムの製造実験が開始されます。

太平洋戦争開戦の年の1941年7月、アメリカはモード委員会の報告を受け、新型爆弾は既存の爆弾の数千倍の威力があると判断。1942年6月、陸軍直轄のもとで20億ドル(約7300億円)を投じ、原爆開発計画「マンハッタン計画」を始動させます。

アメリカは当初はドイツへの使用を想定していた原爆開発を進めていました。しかし、1945(昭和20)年5月にドイツは降伏。原爆使用の目標を日本へ切り替えます。

アメリカは3発の原子爆弾を完成させ、1945年7月16日、そのうちの1つを使った世界初の原爆実験に成功します。ドイツのポツダムでイギリス、ソ連首脳と会談中だったアメリカ大統領トルーマンにこの報告はすぐに伝えられ、残る2発の日本への使用を決定します。

原爆投下地点は、当初小倉、広島、新潟、京都の4都市が選ばれました。しかし日本に滞在した経験のあるスチムソン陸軍長官が、京都は日本の古都であり、日本人にとって宗教的価値が高いことから、京都を目標にすることに強硬に反対しました。その結果、京都の代わりに長崎が候補となりました。

1945年8月6日の未明、サイパンの南に位置するテニアン島から、「B29」が飛び立ちました。

そのうちの「エノラ・ゲイ」号にはウラン型原爆「リトル・ボーイ」が搭載されており、広島市上空で投下。

 

広島に投下された「リトル・ボーイ」

 

地上から500mの高さで原爆はさく裂し、ピカッという閃光(せんこう=強い光)の後、爆風と熱線、それに続く火災が人々と街を焼き尽くしました。その後放射能を含んだ雨が広範囲に降り、さらに放射能による被害を広げました。この雨は原爆で舞い上げられたチリを吸収して黒くなっていたため「黒い雨」と呼ばれています。

 

 

3日後、今度は九州の小倉を狙いB29「ボックス・カー」は出撃しました。しかし小倉上空は雲が多く、標的を長崎に変更します。長崎も小倉同様に曇りでしたが、わずかな雲の切れ目からプルトニウム型原爆「ファットマン」を投下しました。

原爆に見舞われた広島と長崎では、それぞれ1945年末までに広島で約14万人、長崎で約7万人が亡くなりました。しかし、放射能による「原爆症」はその後も人々を苦しませ、現在までに広島で約30万人、長崎で約14万人が犠牲になりました。生き残った人々も、今なお多くの人が原爆症に苦しんでいます。

参照:太平洋戦争とは何だったのか

 

世界の核兵器の現状

核保有国 核開発が疑われる国 引用:CNN.co.jp

世界における推定核弾頭数は、約16000発あるとされています。

核開発が世界のパワーバランスを保つ上で重要な意味を持っていた冷戦は終わり、1990年代以降、世界は核軍縮・核不拡散に向けた取組を続けていますが、依然として核兵器が抑止力として必要されているのも事実なのかもしれません。

 

そして、核兵器保有国の中でも日本にとって一番の脅威であるのが、北朝鮮人民共和国

直近では、7月28日午後11時42分頃、北朝鮮中部から弾道ミサイルを発射し、日本の排他的経済水域(EEZ)内に落下しました。北朝鮮のミサイル発射は今年に入って12回目です。(2017年8月2日現在)

北朝鮮のミサイル技術が以前にもました向上していることも指摘されており、今後とも引き続き北朝鮮のミサイル発射には十分な警戒が必要です。

参照:読売新聞 北朝鮮がミサイル発射~今年12回目

 

同じ過ちを繰り返さないために私たちにできること

これまで、広島・長崎への原爆投下の歴史を振り返り、そして現在の核兵器の現状についても見てきました。
それらを踏まえた上で、同じ過ちを繰り返さないために、私たちには今何ができるのでしょうか?

 

①歴史を知り、後世に語り継ぐ。

時の経過ともに歴史への記憶は薄くなっていきます。

被爆体験を語っていた被爆者の多くも高齢となり、今後は誰が被爆の体験を語り継ぐ役目を担っていくかが問題となります。

その中でできることは、私たち1人1人が原爆の記憶を語り継ぐ役目を担うこと。

もちろん大勢の前で講演するといった規模の大きいものから始めるの必要はありません。友人や恋人、自分の子供など身近な人と一緒に少し原爆についての話をするだけけでも十分です。

 

②社会問題に当事者意識をもつ

近年、日本を取り巻く安全保障環境は以前よりもまして緊張が高まっています。

例えば、北朝鮮のミサイル発射、中国の南シナ海進出など。

このような社会問題について、「自分には関係ない。」と思うのではなく、自分のこととして考えてみてはいかがでしょうか。

そうすれば、普段目や耳に入ってくるニュースについて関心が高まり、それが結果的に選挙での投票として行動に現れれば、今後の日本の政治にも影響を与えることができ、未来の日本の平和によい働きかけをすることになるかもしれません。

 

③日々の当たり前に感謝する

戦後から72年。私たちの多くが今、この日本でなに不自由のない暮らしをおくっています。

しかし、これは当たり前のことではありません。戦時中の日本ではもちろん、現在でもこの当たり前を享受できていない人たちが世界にはたくさんいます。

そこで日々の暮らしに感謝をして毎日を生きることで、平和のありがたさを忘れずに生きることができ、72年前の同じ過ちを繰り返すことを防ぐことをできるかもしれません。

あとがき

 

ここまで今から72年前の今日を振り返り、改めて平和や核兵器について考えきました。

「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませんから。」

戦後72年経っても、争いが絶えないこの世界で、この言葉の意味について、今もう一度1人1人が考えることを求められている気がします。

最後までお読みいただきありがとうございました。