未来を作る学生インターン主導チーム。

あなたにも必ず可能性があるから

みなさん、こんにちは!

福岡ハシゴでインターンをしているもりティーです!

 

私の大学ではテストも全て終わり、今は春休み期間に入っております。

 

小学校、中学校、高校そして大学といつもテストがあり、みなさんの中にはその結果に悩んだり、自信をなくしたりする人もいるかもしれません。

 

私も大学受験の勉強をしている時に思うように成績が伸びず、悩んだことがありました。

そんな中私はある一冊の本に出会いました!

それは「斎藤喜博『君の可能性-なぜ学校に行くのか』ちくま文庫、1996年」です。

 

私はこの本を読んでたくさんの元気をもらいました。

今回はこの本の一節を紹介していきたいと思います。

 

私は、何に適しているでしょうか?

 

本文はこの問いから始まります。

これはある高等学校の生徒が先生に対してした質問のようです。

正直先生に聞いたところで「何に適しているか」は分からない気もしますが、なぜこのような質問を学生はするのでしょうか?

 

斎藤氏はこう考えています。

「こういう質問が、中学生や高校生からときどき出る。それはたぶん、学校が形式的なテストだけをやって、・・・テストの結果だけで人間の能力を格づけてしまい、人間にレッテルをはってしまうからだ。」(斎藤1996, p.11)

 

確かに、中学、高校時代はテストができるかできないかで、人間としての能力が評価されることが個人的にも多かった気がします。

 

人の能力って?

 

では本来人の能力とはどういうものなのか?

斎藤は本文中である心理学者の言葉を引用しています。

「テストや適性検査だけでははかれるものないし、中学校や高等学校の年齢で、何にすぐれており、何に適しているなどということがわかるものではない。どの人間はだめで、どの人間がすぐれているなどと簡単にきめられるものではない。そうではなく、どの人間もみなゆたかな可能性をもっているのである。ただそれが、早く出るか遅く出るかのちがいだけである。また、うまく引き出されたか引き出されなかったかのちがいがあるだけである。そう考えなければならないことである。」(斎藤1996, p.12)

 

私も本当にその通りだと思います。

すべての人に可能性があり、その人の環境によって可能性を発揮できるタイミングに違いがあるだけだと感じます。

 

死刑確定後に開花した可能性

本文中では一人の死刑囚、島秋人のが紹介されています。

 

「島秋人は、小学生のときも中学生のときも、成績はいつもクラスでいちばん下だった。・・・小学校の5年のときには、国語の試験に零点をとったので、先生に足でけとばされたり、棒でなぐられたりした。・・・そういう学校でのことだけが原因ではもちろんなかったであろう。・・・が、島秋人は性格がひねくれ、あらあらしくなり、人にもいやがられて、とうとう少年院に入れられしまった。そのあげく、・・・24歳のときに、農家へどろぼうにはいり二千円とったが、みつけられて争いなった。そしてその家の人を殺して死刑囚となってしまったのである。」(斎藤1996, p.14)

 

このように島秋人は幼いころから、成績が悪く、わるい要素ばかりが引き合いに出せれ、それが拡大し、ついには死刑囚になってしまいました・・・

こうして死刑囚になった島秋人はある日、もらった手紙の中に書いてある短歌を読み、その短歌に心を打たれ、それから短歌を書き始めます。

 

「・・・短歌をつくり出した島秋人は、毎日歌壇章をもったりした。そして・・・処刑された翌月の12月には、『遺愛集』という歌集が出版されたのである。」(斎藤1996, p.15)

 

このように島秋人という人は、死刑囚となった後に自分の短歌という才能に気づいたのです。

もし島秋人の家庭や学校でわるい要素だけではなく、彼のよい要素がを見つけようとしていたら、もう少し早く彼自身の可能性に気づくことができたかもしれません。

 

まとめ

以上のように「斎藤喜博『君の可能性-なぜ学校に行くのか』ちくま文庫、1996年」を通して、今回は人の可能性を考えてみました。

 

もしかしたら、今のあなたは今いる環境の中で十分に力を発揮できていないと感じているかもしれません。

でもそれはあなたに可能性がないのではなく、それが早く出るか遅く出るかやうまく引き出されたか引き出されなかったかの違いにすぎないことを思い出していただければ幸いです。